近所では桜の照り葉が風に舞い、秋の名残も咲き終えて、心もちを新たに冬の花が咲きだす頃となりました。「雪中四花」とは寒さ厳しい時期に、雪の中でも凛々しく咲く冬の四花をいい、蝋梅、水仙、梅、椿のことをさします。このうち香りをもたない花は椿だけ。しかし花に香りがなくとも、そのくっきりと見映える容姿には、野生の匂いをたっぷり染み込ませているし、どの花よりも放つ魅力は鮮烈です。明日は二十四節気の大雪。いよいよここから冬本番。まさに季節の扉を開ける花ですね。今日もいちりんあなたにどうぞ。ツバキ 花言葉「控えめな優しさ」

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。-山本五十六そうだって、人は誰もが神様ではないんだもの。それってつまり、誤りをするというところに、誰もの人間味があるということじゃないかしら。今日もいちりんあなたにどうぞ。アネモネ 紫 花言葉「あなたを信じて待つ」

synchronicityシンクロニシティ。日本語では「共時性」「同時性」などと訳される言葉で、もとはユングが提唱した概念「意味のある偶然の一致」を指すそうです。調べてなるほどね、と思いながら、今日はこの「意味のある」を興味深く受け止めました。従来「シンクロ」する、とはよく耳にする表現でしたし、その際にはたとえば、単に気の合う者同士だからとか、実は深い部分でつながっているからとか、お互いが意識したものへの感度が高くなっているから、とか、好みが近いからとか、はたまたそんな偶然起こったことに自分たちがわざわざ意味を見いだそうとするからとか、そうした解釈で、都合よく使っていたかと思うのです。しかしそんな偶然には、実はたまたまではなく「意味がある」と定義したのがユングの「シンクロニシティ」。こうして言葉の在処を知ると、これまでに体験したシンクロも実は「意味ある偶然」だったのかななんて思えて、なんだか無邪気に嬉しくなりました。今日もいちりんあなたにどうぞ。

「みたまのふゆ」という言葉があります。漢字では「恩頼」と書くというから意外です。みたまは御魂を、ふゆは震えることや揺れることを意味するといい、この言葉は古代の日本人が日常において、いつも神様や誰かからの恩恵を受けては、魂や心を震わせてきたことを現しています。冬の語源は「冷ゆ」とも「振ゆ」とも言われます。厳しい寒さの中、自然の恵みや人から受ける恩に、心を振るわす季節のはじまりです。今日もいちりんあなたにどうぞ。ポインセチア 花言葉「幸運を祈る」

さあ12月になりました。先急ぎする落ち着きのなさを鎮めるように、植物をもとめる一か月がはじまります。ヤドリギは落葉する高い樹木を宿にして、そこで生育する不思議な木。キリスト教が広まるよりもずっとまえ、古代ケルトの冬のころ、きびしい寒さと雪におわれて、すみかをなくした森の精霊を、迎えいれる場所として家の中に吊るされたのがヤドリギだったといいます。クリスマスをまつこの季節に、ヤドリギをドアや部屋に吊るして幸せや安全を願うのは、この伝説が由来みたい。それからね、この木の下で出会ったら、相手がどんな苦手でも仲直りしなくてはいけないんですって。泣いても笑っても今年も今月でおしまいです。仲良く過ごしてまいりましょう。今日もいちりんあなたにどうぞ。困難な苦しいとき、私は気分を変え、人一倍働いた。-トーマス・エジソン#ヤドリギ 花言葉「困難に打ち克つ」#宿木 #宿り木 #師走 #viscum

11月最終。とうとう今年もあとひと月となりました。今年の秋は11月にギュッと色濃く詰め込まれたように感じておりました。銀杏の黄色も秋晴れの青天も、季節の菊もそれはそれは美しく、心の弾みをおぼえた毎日でした。明日から12月、日一日と歳末にむけていっそう気忙しくなる事でしょう。しっかり季節を踏み締めてすすめていきたく思います。今日もいちりんあなたにどうぞ。逝く秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひと片ひらの雲佐佐木信綱キク 花言葉「高潔」

秋も終盤をむかえています。足元に広がる落ち葉をみていると、いよいよ冬なのだと実感しますし、その紅葉も、まるで天からの授かりもののように思えてくるのは、これもこの季ならではの情緒でしょう。ふと「日本人は木の葉も花とみる」という言葉を思い出しました。たとえば葉先から枯れていくことを「末枯れ」といいますが、そんな自然現象にまで言葉を与えたのも日本人。自然に対する敬虔な心を知るたびに、頭がさがる思いです。今日もいちりんあなたにどうぞ。