解ろうとして、あんなに駆け足になったことも、感じてくると、不思議とゆっくり見えてくる。ああしなきゃこうしなきゃと、何度も思ってきたけれど、足りていなかったのは相手への思いやりだったのかもと、やっと気づきはじめたこの頃です。幸いには、それでも互いを諦めず、わかり合えないことは今すぐに解決しようとせず、いつか分かち合える日が来るかもを、気長に待ってこれたこと、それはきっとよかった。今やっと、ここに辿り着きました。今日もいちりんあなたにどうぞ。愛とは、その人の過ちや自分との意見の対立を許してあげられることです。-フローレンス ナイチンゲールBecause love is, that is forgive the conflict of opinion with mistakes and their own that person. -Florence Nightingaleブルースター 花言葉「信じあう心」

世の中は「あちらとこちら、どちらが正しい?」という、二項対立的な問いに溢れています。そんなあまたの問いに対峙するたび、ひとは直様「正しいのはどちらか」と思考しがちですが、そのジャッジをみるたびに、問いの立て方自体が間違っているのではないか、と常々私は思ってきました。世の中に、あちらとこちら、どちらかが絶対に正しいなんてことはまずない、にも関わらず、こうした曖昧な問いの立て方によって、わたし達の思考は度々誤った解釈へと誘われてしまう。ではどう問えばいいのでしょう。たとえば、わたし達が“砂のかたまり”を“砂山”として見るのは、いったいどういう時でしょう。このとき気づくべきは、わたし達は「砂のかたまりは何粒から砂山か?」「10000粒の砂は、砂山か否か?」とは問われていません。にも関わらず、自分が応えやすい問いに変容させてしまう習性があるようです。正か否かを問うでなく、どのような場面にいるとそれを「正」「砂山」受け止めるのか、またはそれを「正」「砂山」として見るのはいったいどんな状況においてなのか。このように、たんなる二分法に委ねるでなく、ふとした疑問であっても意味ある問いへ立て直すことのできる思考のプロセスが、答えそのもの以上に私たちにとっては、とっても大切ではないかと思っています。今日もいちりんあなたにどうぞ。 芸術家の役目とは、問いを投げかけることであって、それに答えることではない。-アントン・チェーホフレースフラワー 花言葉「細やかな愛情」

歳を重ねるほど「出来てあたりまえ」に塗れてるよな気がする、のです。がしかし、大人になったところで未だ出来ないな事ばかりだし、ジレンマにヤキモキするばかりだし、そのくせ「解ってほしい」という欲求ばかりだし、ホント仕方ない。けれどそれも含めてそんなものだ、と禅問答のようにして、自分に言い聞かせています。結局、誰かに認めてほしい自分がいるのです。誰かとは他でもないあなたでもあります。あなたがいるから頑張れて、あなたを瞼におき、あなたに背中を押される思いひと筋に、一生懸命になれる、そんなものなのです。 人を想えるって、最強だと思うし、想えてよかったなって思うのです。歳をとった証かしら。そんなものだ、今日もいちりんあなたにどうぞ。人間が人間のことを想う、これ以上に美しいものはない-高倉健カーネーション 花言葉「深い愛」

花びらを摘んでも花の美しさを集めたことにはならない-ラビンドラナート・タゴールそんな言葉を噛みしめながら、それでも花びら集めたり、落ち葉を拾ったり、身近な自然を見つめています。幸いに、それが楽しくて仕方ない。いま目の前に咲く、あるだけの植物を、その花を覗き込んだ花芯を、その花の思いの先を、ずっと思考し続けます。幸いに、それが楽しくて仕方ない。今日もいちりんあなたにどうぞ。バラ 花言葉「君を愛する」

君はいつも無口のつぐみどりわかきそなたはつぐみどりわれひとりのみにもの思はせていまごろはやすみいりしか夜夜冷えまさり啼くむしはわが身のあたり水を噴くああ その水さへも凍りてふたつに割れし石の音あをあをと磧のあなたに起る幾日逢はぬかしらねどなんといふ恋ひしさぞ『秋の終り』室生犀星明治中期から昭和初期にかけて作品を残した詩人・小説家の室生犀星。犀星の詩は、読んでいるだけでも、歌が聴こえてきそうな詩もおおく、私は好きです。今夜はまた君を想うからこれを。今日もいちりんあなたにどうぞ。ジニア 花言葉「遠い友を想う」

夏、法師蝉がいそげ急げと鳴いたように、今、暦どおりに山茶花が群らがり、咲けやさけやと溢れています。一日少ないというだけで、はなく10月に比べ、11月は本当にすぐ過ぎ去ってしまいます。毎年同じことを言っていると分かっていながら、泣いても笑ってもまた過ぎ、12月になればなったで、もう12月とつぶやく、せかせかと毎日過ごすこの季です。今日もいちりんあなたにどうぞ。.うしろより足音十二月が来る岩岡中正.サザンカ 花言葉「ひたむきさ」

常にわたしらを助け光なしには一つの花さえ開かないように暗闇なしには何ものも生まれないことを知っている希望にみちた精神の庭園師たらしめたまえ-メイ・サートン『一粒の芥子種』よりメイ・サートンは、ベルギー出身のアメリカの小説家であり詩人です。第二次世界大戦前後より著述に専念するものの、1960年代後半に初めての小説のなかで、自らの同性愛を明らかにしたことで教職を追われ、さらに本の出版も中止されてしまいます。その後もパートナーとの別離、父との死別、自身の手術などが重なり、失意の底にありましたが、まったく未知の片田舎に引越し、世間の思惑を忘れ、自分の内なる感情を見つめることで、新たなる人生の一歩を踏みだすことが出来ました。新しい土地の自然と動物たち、大切な友人と読書によって与えられた万感は、サートンの無垢な感性と思索を通して嫋やかな、そして強かな文字となり記録されています。みすゞ書房から出版されている『独り居の日記』が好きです。自分の内なる怒りには正直に、でも身のまわりには秩序と平和を築こうと、サートンからのメッセージ。今日もいちりんあなたにどうぞ。プロテア 花言葉「風格」

今年は、遅もなく急もなくゆったりと秋が深まっている印象です。小春な秋晴れは連日続いてるし、ふといま時分って、毎年こんなに穏やかだったかしらと思ったくらい。して毎年この時期とは、時間ばかりが過ぎていく、なんとも名残の浅い季感だなあとも感じています。しかし見やれば、小さな草はちゃんと終わりまで咲ききる様子だし、咲ときゃ咲くし散るときゃ散る。そんな執着もない倦まず弛まずな花の気概をみたら、うかうかしてられないと、気が引き締まる思いがした今日です。今日もいちりんあなたにどうぞ。ヒペリカム 花言葉「悲しみは永遠に続かない」

不来方のお城の草に寝転びて空に吸はれし十五の心-石川啄木「木は天にまで届かないように配慮されている」というドイツのことわざがあります。いくら高い木でも決して天には届かぬよう、神様が配慮しているといい、どんなことにも、自ずからの限度があるものだという意味があるそうです。毎日見上げる青空には、無限の奥行きが感じられます。この空のかなたに、あなたがいるのだなあ。しかし手を伸ばしても届かないのは、これも神様の仕業でしょうか。今日もいちりんあなたにどうぞ。イチョウ 花言葉「荘厳」