花屋と子どもたち
先日のこと、店の奥で仕事をしていると、聞き覚えのある声が、花屋を覗いている事に気づきました。出ていくと久しぶりの友人が、近くまで来たからと、春休み中のお嬢さんと立ち寄ってくれたのでした。
とても嬉しくしばらく立ち話をし、これからどこへ行くのか尋ねると、娘の所望で、手芸屋さんへいくとのこと。せっかくならと、思い当たる近くの手芸店を知らせて、またねと送り出しました。色とりどりの生地、道具、彼女が見たら、どれほど目を輝かせてくれるかしらと、期待を膨らませながら。
きけば、いま暮らす田舎の環境では、そうした専門店の類は、中々身近にないとのことでした。花屋もしかり、絵本の中でしか見たことないよね、なんてお嬢さんと話すのを見て、ふと自分の幼少の頃を思い出しました。たしかに、そうだった。
その昔、小学生だった私は、母の日に「花を贈る」という、ハイカラを知り、自分もやってみたくなりました。しかし当時の田舎にも、やはり花屋がないのです。町中歩いてやっとみつけたのは園芸店で、それと気づいたのは、外まで漂ってくる菊の葉のにおいと、店の手前に五色の仏花が並んであったから。
何が買える店なのか、わからぬままに勇気を出して「母の日の」というと、花屋のおばさんが、手前のからげに入っているのと同じ赤い花を包んでいるのが見えます。
子ども心に「あれと同じ花なんだ」という哀しい驚きと、あっているんだろうか、という不安で汗ばんだ何百円かを、手渡したのを、何十年かぶりに思い出しました。
きょうび、東京に暮らしている限り、まして今の時代なら、インターネットで何でも手に入るわけですが、先日のできごと、友人の娘が花を手にして笑うのは、近所の子供たちのそれとも、違って映ったのですね。
そこに自分の古い記憶もかさなりまして、もしも現代の、子どもたちの体験において、「お店で買い物をする」「ほしいものを伝える」「手から手にする」というやり取りが少なくなっているのなら、絶やさぬ一助になりたいな。なんて思いに至った、週末の花屋の小さな出来事でした。
今日もいちりんあなたにどうぞ。
カーネーション ピンク 花言葉「感謝」