謙虚な心と思いやり
あるとき虎が狐をつかまえました。すると狐は「自分は天帝から遣わされ、すべての動物の長になる者だ。食べてはならない。もし信じられないのなら、私の後からついてくれば分かる。動物たちは、私の姿を見ればみんな逃げていくだろう」と言いいます。
言われるがままに付いていくと、狐をみた動物たちは、狐が言った通りに逃げていきましたが、それは虎を見て逃げたにすぎませんでした。
とは、「虎の威を借る狐」という中国の故事。力のない小人が、強い者の権力に頼って威張ることのたとえです。
世の中には、自らの実力が大してあるわけでもないのに、あたかも卓越者のようにふるまう人、選び抜いた道具を揃えることで、勝ち抜けると自信に満ちる人、自らを目利きと勘違いをしてしまう人は、やはりいるなと感じます。
自分自身の在り方を、積極的に評価できることは良いことですし、自分は生きている価値があると思えることで、他者や社会の役に立てるなら、何も否定する余地はありません。
しかし一方で、自分自身への価値づけに愛着を持ってしまうばかりに、他者に対して傲慢になってしまうのでは本末転倒、それは虚勢にすぎず、やはり「狐」なのです。
「謙虚な心と思いやり」とは、言葉にするのは簡単です。「誠実」も同様でしょう。しかし実際にそれを「自分自身の中にある、ひとつのまとまり」として体現できている人はそういないような気がします。つまり、それほど簡単なことではないからです。
そうした難しさを「越えられないもの」として捉えることも「謙虚さ」そして「思いやり」と思います。それはインターネットを介してのコミュニケートの難しさ、顔の見えないお客様との接し方にも通じると、私は受け止めています。
そうしたあり方「ふるまい」を、自分の中のまとまりとして抱くこと、そうアイデンティティとして、驕らず高ぶらず大切にしていきたいと、深めて思うこの頃です。
今日もいちりんあなたにどうぞ。
アベリア 花言葉「謙虚」