3月
名人は危うきに遊ぶ
好きな本ばかり何年もかけて何度も読む偏った癖があります。20代の初めに出会った白洲正子の随筆「名人は危うきに遊ぶ」は、まずそのタイトルにやられました。自由に生きることの孤独、とらわれずに生きること、「型」の非情、生きること、美しいということ、生かすこと、向き合うこと。・・・全く読み解けない。それが白洲正子でしょうか。
この小さな薄ぺらい文庫を、書棚におき、思い出しては開き、ドイツに連れていき、たまにまた読み返し、かれこれ15年は一緒にいることになる。それでも、いつまでたっても読みすたれることがない。超えることもない。全く追いつくわけもない。そこがいいのです。たまに悪ふざけが過ぎたり、情報にまみれて、気持ちがぶれそうになったときには、こういう良書をガバリと開いて、しまったしまった、と心を正すのがいちばんいいのです。
古い良書には 還るべき日本人のたしなみがあると思いました。このところ、仕事に対しても、自分の生き方も、なんだか偏りがあってもいいような気がしてきました。むしろそうあるべきなんじゃないかとさえ、最近は思う。突き抜けるには貫かなくちゃね。小さく強く。ますます強く。名人は危うきに遊ぶ 一生 勉強勉強。