幸福なしごと
世の中にもし幸福というものがあるとすれば
それは他人に喜びを与える以上の幸福はない 白洲正子
「幸福なしごと」ってなんだろう、とふと思ったのでした。
商売やサービスに全く縁のなさそうな白洲正子ですが、46歳の時、銀座に自身の店をかまえ、それから15年にわたり経営していました。毎日、町田の家から往復4時間かけて通ったといいます。そのころの正子について、娘婿の牧山圭男氏は自身の著書の中で以下のように書いています。
「正子が銀座の「こうげい」という着物と雑貨の店を始めた頃のこと、品揃えは自分の好みに囚われ過ぎてはいけないと殊勝に考え、お客の求めるものを、と苦労したそうだ。だが現実は、自分が気に入って注文して、売れなければ自分が買おう、と腹をくくったものから売れて行ったので、「自分が好きなものを人様に勧めることが、真のサービスだと悟った」と言っていた。」『白洲家の日々 牧山圭男』
「自分が好きなものを人様に勧めることが、真のサービス」
きっとそれは正子にとっても、ひとつの「幸福」のかたちだったのではないかと思います。また、正子のいう すきなもの とは ほんもの であったに違いありません。ほんものやこだわりの追求が、どちらへ向かっていくのかは人それぞれですが、ひとの「売る」姿勢、「選ぶ」視点、「買う」理由、創作への「こだわり」から、学びが絶えることはないものです。
出会いに感謝する心、もっと知りたいという好奇心が、なによりも自分のしごとを育ててくれる気がしています。そして人は「つながる」ことで、いつまでも育ちあえる生き物のように思う。しごとは想像力。一生懸命にひとの喜びを想う、豊かな想像力こそ、自分に与えられた「幸福なしごと」なのではないだろうか。使命といえるかもしれません。「幸福なしごと」を考えたとき、私はそんな答にたどりつきました。
ひとの幸福をかなえるために、何ができるだろう~こんなたのしい妄想もありません。想像力と好奇心で忙しいばかりの毎日なら 一生しごとをしていてもいいな(笑)そんなことを考えるたび、ああ、手の内に今あるこれは、とても幸福なしごとなんだと、ひとに喜びを与えることのできる、すてきなしごとなんだと、春の陽をきた花とともに、気持ちもあたたかく、ふくらませています。
あなたにとって 「幸福なしごと」はなんですか?私にとって 「幸福なしごと」は想像すること。そして「想いを伝え、つなげる」ことです。
幸福なしごとを 私はしたい。