佐藤春夫 「秋刀魚の歌」

Posted on 2014/09/19
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遠くの雲に夏をおいて秋は始まり、いま仲秋。花もうつくしけれどやはり食欲の秋、秋刀魚の季節です。夕暮れの茜に町が照り映える刻、秋刀魚焼く煙と脂が燃える匂いに気づくなり、たちまち家路を急ぎたくなるのは今も昔も同じでしょうか。
佐藤春夫の詩で「秋刀魚の歌」というのがあります。これは詩人佐藤春夫が、当時親交のあった谷崎潤一郎の妻千代へよせた思いが秘められている抒情詩として知られています。恋多き男であった谷崎の妻千代が、夫の奔放な恋遊びに疎んでいたとき、佐藤が寄せた同情は、いつしか千代への愛情に変わり、やがて千代をめぐって両者の間に確執が生じ絶交に至る、という背景がある詩です。
そんな谷崎との確執の中でつくられた恋歌ですが、この数年後には、谷崎と和解して、千代と結婚したというハッピーエンドつき。大人の恋はどことなく痛みがあって切実なものでしょうか。秋風に男心託した恋歌には、こんなセンチメンタルな茜色が似合うかな。今日もいちりんあなたにどうぞ。
佐藤春夫「秋刀魚の歌」
あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉(ゆふげ)に ひとり
さんまを食(くら)ひて
思ひにふける と。
さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみてなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児(こ)は
小さき箸〔はし〕をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸〔はら〕をくれむと言ふにあらずや。
あはれ
秋風よ
汝(なれ)こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証(あかし)せよ かの一ときの団欒ゆめに非(あら)ずと。
あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児(おさなご)とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。
さんま、さんま
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。
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