かの子と桜
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日本の春の桜は人の眉より上にみな咲きます。そして多くは高々と枝をかざして、そこにもここにもかしこにも人を待ちうけます――時にはあまりうるさく執拗に息づまるようななやましさをして桜は私の春の至るところに待ちうけます。
こんな神経衰弱者の強迫観念や憂鬱感は桜にとって唯ただ迷惑でありましょう。しかしそれらは却って私が桜を多くめでるのあまり桜の美観が私の深処に徹し過ぎての反動かもしれません。 かりに桜のない春の国を私は想像して見ます、いかに単調でありましょう。あまり単調で気が狂くるおう。そして日本の桜花の層が、程よく、ほどほどにあしらう春のなま温い風手は、徒に人の面にうちつけに触り淫れよう。
桜よ、咲け咲け、うるさいまでに咲き満てよ。咲き枝垂れよかし。岡本かの子『病房にたわむ花』
大正から昭和にかけて活躍した作家 岡本かの子。言わずと知れた芸術家 岡本太郎の母ですが、歌人としては、おんな夏目漱石と評されるほどの、天才歌人だったといいます。
かの子の人生は、残した小説や歌集からも伺い知れますが、作品に滲む彼女の生き方にふれるたび、憧れるような、近寄りたくないような、用心深い気持ちになるのは、女の嗅覚でしょうか。
彼女の作品に、百三十八首の桜を歌った歌集があります。作られた背景には、中央公論の「さくら百首」という企画があったとのことですが、その依頼された百首を、かの子は一週間で作ってしまったのだとか。
そうした歌人としての活躍とともに、欲望に抗うことなく恋愛に生きた彼女の私生活は、なかなかの奇妙に満ちたもので、ついには自身を神経衰弱にまで追い込むほど、波乱万丈の繰り返しでした。
「お母さんのそばに近づくものは、お母さんの情熱に焼きつくされずにはいなかった。」
世間にとっては奇妙でも、息子の太郎には「誇り」と言いわしめた、かの子の天真爛漫な生き方。世に知られるは、息子の存在の方が色濃いですが、実はこの母の存在あっての太郎なのです。今日もいちりんあなたにどうぞ。
サクラ 花言葉「純潔」
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