良寛 愛語と戒語
昨日に続けて良寛。「日本人の心のふるさと」とも評され、子供が好きだった逸話も多い良寛ですが、数多残した和歌や漢詩を見ていると、良寛らしい人や自然への温かいまなざしや、ひるがえって周りから慕われた人物像が、垣間見えてきて、ほっこりします。
吉野秀雄著『良寛』の中に出てくる逸話ですが、少年時代の良寛(栄蔵)が父親に「親をにらむと鰈になるぞ」といわれたのを真に受け、本当に鰈にならねばならぬと、日が暮れるまで嘆き悲しんでいた、というのがあります。疑いを持つことを知らない子供の純真無垢を、笑いものにした周りもいただろう、と推測する一方、今にも慕われる良寛のおもかげとしては、頷けるものもあります。
出家し僧侶になってからの良寛は、道元に傾倒し、その教えの中でも「愛語」に忠実でした。
「愛語」とは、他者にかける親愛ある言葉のこと。私たちも日常で「お元気ですか」といたわる言葉をかけたり「ご自愛を」などと大事をうながす声を掛けますよね。そうした相手を労り敬う、礼儀の上での言葉が「愛語」です。一方に「戒語」というのがあります。こちらは他者へ向けたものではなく、自身が発する言葉の根源に対する、戒めの言葉です。
興味深く文献や資料を探ると、この戒め、じつに九十か条にも上りました。そのうちの抜粋ですが
言葉が多いこと、手柄話をする、よく知りもしないことを人に教える、親切ぶる、負け惜しみ、人の言葉を笑う、問わず語り、へらず口、子どもに知恵を付ける、話の腰を折る、学者気どり、などあります。まったく、どれも胸に刺さる言葉ばかりです。書籍には、唐木順三著『良寛』、新井満著『良寛さんの戒語』などなどあります。こちらでも紹介されています。
http://www.mie-saionji.com/monto/987/
一日一戒、の約束さえ、守れる気がしない自分ですが、せめてこの中の一つ二つでも、日々気に留めて過ごしたいもの。ひろげれば、言葉が氾濫する現代において、まずは自らの戒めとして、心に置いておこうと思いました。今日もいちりんあなたにどうぞ。
ハルジオン 花言葉「追想の愛」