愛するということ
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先日、ちょっとした相談をうけまして、そのときに知人から「愛って何ですかね」とおもむろに問われました。とっさの質問に気の利いたことも言えず、「とりあえずフロムに聞いてみますかね」なんて、冗談めかして返したところ、「あります」と鞄の中からその一冊を取り出すので、思わず笑ってしまいました。
この本の中に、こんな一文があります。
「もし、ある女性が花を好きだといってたとしても、彼女が花に水をやることを忘れるのを見てしまったら、私たちは花に対する彼女の「愛」を、信じることはできなくなるだろう。つまり愛とは、愛するものの生命と成長に対して、積極的に気にかけることなのである。つまりこの積極的な配慮のないところに、愛などないのである。」
エーリッヒ・フロム『愛するということ』より
ここにある「花が好きだというが、花に水をやらない」「それを愛というのか」に類似したことを、知人の相談の中にもあったこと、それと似たようなことを、他にも誰かが言っていたなと、自分の過去の散文をたどったら、仏陀だったんですね。
「花を好きという場合、人はただ花を摘む。
しかし花を愛するとき、人は毎日水をやる。
これが解かる者は、生きるを知る」
仏陀
このごろ、歳を重ねるごとに「愛するってなんだろう」、そんな問いを立てることが、自ら多くなったと感じます。またそのたびに「愛」を声にすることを躊躇しなくなったとも、自分自身に思います。
先に紹介したフロムの言葉の中にある「つまり愛とは、愛するものの生命と成長に対して、積極的に気にかけることなのである。」
これも今には、とっても自分にしっくり来てるのですが、それを人に会うたび受け売りしてしまう、自分の老婆心に辟易したり。いやはや困ったものだなと。それはそれで、いいのかな。
今日もいちりんあなたにどうぞ。
アジサイ 花言葉「移り気」
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フラワーギフト専門店 「Hanaimo」 店主
普段はお祝いやお悔やみに贈る花、ビジネスシーンで贈る花の全国発送をしている、花屋の店主です。「あなたの想いを花でかたちに」するのが仕事です。since2002
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