記憶

Posted on 2024/05/21

確かな審美眼と精緻な文章で、「日本の美」を追求する作品を数多く著した白洲正子。骨董、西行、能、和歌などの探求に余念なく、意気盛んに東奔西走する、まさしく韋駄天でしたが、実のところは、取材を終えるたび、見聞きしたそれらを、みな忘れてしまうのだという話を、彼女の随筆の中にみつけました。

忘れる。故に、いつ何に出会っても新鮮さを感じられ、無邪気な好奇心で向き合うことができるから、都合がよいのだ。という。

つい先日、「記憶」について書かれた資料を読んでいて、ふとこの正子のエピソードを思い出し、そこでこれは記憶の種類でいうと「短期記憶」に当たるのでは、などと考えたわけです。

資料によると、記憶には短期的なもの、長期的なもの、感覚的なものがあり、「短期記憶」とは、人が何か作業をするために一時的に必要とされる「一時的な記憶」とのことをいいます。

彼女が執筆(作業)のために入手した情報は、そんな短期的な情報である故に「覚えていない」ということなのでしょう。とはいえ、そもそも彼女の中に保存された記銘の量が、並外れていることは自明ですけれど。

対して、青山二郎氏や小林秀雄氏らとの記憶は、体験に基づくゆえ、人にも語れる「長期的」な記憶(エピソード)となっています。私たちの心に残っている「思い出」も、この記憶に含まれるでしょう。

もうひとつ。細かなことは忘れてしまっても、人に抱いた印象や、そこにあった景色の色彩や、花木の匂いなど、感覚的に忘れられない記憶があり、またそれらが無意識のうちに身体に染みつくといった「潜在的」な記憶もあります。

たとえば、桜を見ると思い出す顔があったり、ある香水から、思い出すシャツの匂いがあったり。声を聴いただけで、蘇る景色があったり。皆さんにもあるんじゃないかしら。

そうした愛着ある記憶が、心の中に残っている一方で、これからの生涯を楽しむ秘訣は「忘れる」こととも思います。正子が言うように、忘れるからこそ、いつ何に出会っても新鮮に、無邪気に、向き合うことができるとも。

なんて、まるで好いこと言っているようですが、自分の「物忘れ」を棚に上げ、そっと仕舞ってあるのは、内緒です。

今日もいちりんあなたにどうぞ。

ヘリオトロープ 花言葉「愛よ永遠なれ」

楽しむ秘訣は「忘れる」こと

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フラワーギフト専門店 「Hanaimo」 店主
普段はお祝いやお悔やみに贈る花、ビジネスシーンで贈る花の全国発送をしている、花屋の店主です。「あなたの想いを花でかたちに」するのが仕事です。since2002
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