南天(なんてん)難を転じる
私達にとって美の基準はひとつでなく、それはまさに心の数だけありますが、もし時代も国も性別も歳もなしに、変わらない美しさがあるとしたら、私は人の「顔」にあると思います。
その顔にあらわる美しさは、かならずしも感情を表にした際にかぎらず、むしろ無心なときにこそ、垣間見るものではないかしら。
一生懸命な顔、一心不乱な顔、鬼の形相にみることもあれば、愛情があふれている時に見ることも。
私ごとですが、かつて人の顔を撮ることを趣味にしていた頃がありました。いわゆるポートレイト、ストリートスナップなのですが、ただ今の時代は、ふと目に留まった顔をどれほど愛おしく思っても、美しいと感じても、気軽にレンズを向けることは許されません。
それは私のような素人であれば尚のこと、当然といえばそれまでですが、それでも純真無垢な人の表情、出会ったときのあの感動を、胸にしまうしかない遣る瀬無さは、いまも時折に切切と思い出します。
最近は花を見つけて歩くことを楽しみにしていますが、これも心の底に沈殿した哀感を拭いたくてしているのかもしれません。
しかしながら花にも、人に同じく千態万様の美しい顔があり、それを分かち合える喜びが、かつての悲しみよりも増したのは、他でもないあなたに出会えたおかげです。ほらまた、難が転じました。今日もいちりんあなたにどうぞ。
ナンテン 花言葉「私の愛は増すばかり」