1月
花を思いやる心
Posted on 2024/01/04
むかし昔、高田保という明治生まれの随筆家がいて、その高田が書いた新聞コラムに『ブラリひょうたん』というのがあります。その中に活花(いけばな)について書いた回がありました。「母の話」「ふたたび母の話」です。
今から70年も前のコラムですが、そこに登場するのは、当時すでに八十を越した母親から聞いたという、活花(いけなば)の話。
「目立たないように働いて他を引き立てるのが、花の役割というものだ」という控えめな主張には、当時の「自我を強調しない」といった思想だけでなく、日本文化の粋も感じられ共感を覚えます。また、
「間の抜けたすき間を花のために作って置いてやらなければいけない。」「衰えを人の目にさらさせるのは情なし」
この一文からは、先人の花への心配りを知ると同時に、おもわず嬉しさがこぼれました。というのは、花を朽ちるまで見届けたいという思いは、花への愛着である一方、現代人のケチな根性なのではないか、そんな思いがあったからです。(すみません)
花の価値とは、必ずしも物質的に残ることばかりではなく、それ以上に、印象や記憶の中に残る最盛期の美しさにある。かねてより、自らの中にあったこの主張が、これを読み、あらためて色濃くなった気がします。
相手の想像を埋め尽くさず、想像の余地を残して活ける。あとは花に任せる。それが物質を超えた花の美しさ、人の記憶になるだろう。
そんな心得と、昔の人の花を思いやる心に出会えた、ありがたい随筆です。今日もいちりんあなたにどうぞ。
ダリア 花言葉「感謝」