冬の眠り
アン・マイクルズの長編小説『冬の眠り』の中で、登場人物がこんな過去の記憶を語りはじめます。
「わたし」は23歳になるちょっと手前、独り暮らしがつらくなってきた年寄りのアニーと同居することになった。アニーが住む島はものすごい僻地だったけれど、そこは魅力的な楽園だった。
「わたし」は、アニーが趣味にしていた絵をはじめた。主題には雨をえらんだ。森や岩に落ちる雨に取りつかれた様に、何百枚も雨ばかりを描いていたら、アニーが「たまには花を描いてみたら」とどっさり摘んだ野草の花を持ってくる。けれど「わたし」は花なんて描けない、絶対に本物らしく描けないと躊躇した。
するとアニーは「そもそも本物らしくなくちゃいけないの?」と野草の束を差し出して言った。そのとき私はわかった。描くのは花ではなく、花を持っているその手なんだと。本当に私が描きたかったのは、見たこともない記憶にもない、母の手だったんだと。
植物を見て、またその差し伸べられた手に触れて、思い出す人がいる。それは何かを与えられたときと同じ、奪われたときと同じように。私たちもそうじゃないかしら。
「娘って、いくつになっても母親のことを思い出して泣くものね。」
時代が変わっても、人は記憶を記録しようとする。喪失をしてもその体験を忘れないために、時に不滅を求めて、絵を描き、写真を撮り、詩を書き、手紙に残します。そしてそこには花もあるということを、思いださせてくれた一節でした。今日もいちりんあなたにどうぞ。
白バラ 花言葉「あなたの色に染まる」