地べたの花
「雑草という名の草はない」は、牧野富太郎博士の言葉として知られています。でも実際に足元をみると、名前のわからない(知らない)植物ばかり、ついつい「雑草」とくくってしまいがちです。
雑草というと、昔ドイツの花屋で働いていた頃、その花屋にいたガーデナーに、「フローリストは、花は「可愛いきれい」といって愛でるくせに、足元の芝生や雑草は、平気で踏んで歩くんだよな」と言われ、衝撃をうけたのを思い出します。
最近では、雑草研究者の稲垣栄洋さんの著書の中に「踏まれたら立ち上がらないのが、本当の雑草の姿であり、強さなのだ」とあり、ほほうと興味を抱きました。
一般的に雑草といえば「踏まれても立ち上がる」強さがあり、それが「雑草魂」だ、と思われています。しかし本来、どんな草花でも、最大の使命は「花を咲かせて種子を残すこと」。であれば、雑草であっても、踏まれても立ち上がる、というのは、はなはだ無駄な努力なのだ。というのです。
また多くの植物は、上へ上へと伸びますが、中には、はじめから地べたに這うことを選んだ草もあります。皆が競うように、太陽の光を求めて伸びるのに対し、自分は踏まれるくらいなら、いっそ上ではなく横に伸びる。踏まれたなら潔く諦め、種子を残すことに専念し、確実に花を咲かせる。これこそが雑草の「強さ」「根性」なのだ。という話。
古い時代の人が、むげに踏み倒された草をみて、自らの根性論を重ねた気持ちも、分からなくはありませんが、生物学的な論拠あっての話も、読んで納得がいき、この地べたの花を見て、あらたな「雑草魂」が胸に宿りました。今日もいちりんあなたにどうぞ。
コニシキソウ 花言葉「私を見て」