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北原白秋と花と文学
北原白秋の詩にはたいへん多くの植物が登場します。詩集『思ひ出』だけをみてもそれは豊かで、薮椿、ヒヤシンス、牡丹、鶏頭、たんぽぽ、かきつばた、沈丁花と、これだけに留まりません。
白秋の故郷は福岡県柳川市、水郷柳川としても知られます。
水に恵まれた町中には、さぞ花も嬉々として咲いていたのだろうと、この詩集を見るだけでも想像が膨らみます。
それにしても昔の作家は、なんと花や植物への造詣が深く、というより本当に植物が好きだったのだろうと、感心しきり。
また花も今よりずっと、野山に限らず町にも咲いていたんだろうと、本をひらくたびに思う。私がひと昔前の日本文学を好む理由のひとつです。
宮沢賢治は東北の自然、こと青色に魅了され、県花でもあるリンドウを作品の中にも登場させていますね。
与謝野晶子は花ばかりを100も詠んだ歌集を作りましたし、幸田露伴にも自宅の庭に咲く花について書いた随筆があります。
またその娘である幸田文は、父の思いを享受して、樹木に思いを馳せました。
それらは比喩に偏らないから、きっとその目で見たままの感覚的な態度なんでしょう。
ひょっとすると、ああした技巧の無さは、立ち入れば、作家たちの未熟さの顕れなのかもしれない。
でもそんな素直な反応のおかげで、こちらも拾いものをしたように喜べるし、いとおしむ感情がずっと胸に残るのですから、嬉しいのです。
なにも古典まで遡らなくても、ちょっと前の時代の文学に触れるだけで、生活のそばの花ある景色、季節の花に出会えるの。一緒に楽しめたら幸せです。
今日もいちりんあなたにどうぞ。
ケイトウ 花言葉「風変わり」