「誕生日のお花、ありがとう。」
電話から聞こえた母の声は、
明らかにいつもと違っていた。
恒例行事である母の誕生日。
いい歳した息子にとっては照れくさいながらに、
ずっと誕生日には花を贈っている。
そんな毎年「なんとなく」送っていた花を、
今年は少し変えてみた。
ネットで見つけた、”ちょっといい感じ“の花屋。
パソコンで調べれば、沢山出てくる
よくある、フラワーアレンジ。
それらが並ぶ中で、なんとなく目に止まった。
”オシャレな色使いだな。“。
気になってネットでお店を見てみると、
”「花を以って想いを伝える」“とあった。
格安!スピーディー!豪華!
そんな言葉が並ぶほかの花屋とは、ちょっと異質だ。
「贈る相手に想いを伝える」そのための花、とまで書いてある。
画一的なアレンジが並んでいた
別のネットの花屋とは
なにか違う。
一つ一つの花束も、どことなく個性的。
それはセンスが乏しい僕にでもわかった。
ひとつひとつにそれぞれ個性がある。
漠然とだけれど、そんなことを感じさせた。
ウェブサイトを読みすすめてみると
”想いを伝えるための花の選びかた“
そんなことが、ていねいに書かれていた。
シチュエーションにふさわしい花、だけでなく
相手に似合う、花の選びかたまで。
そんなこと、特に考えたこともなかった僕にとって
なんだかとても新鮮だった。
「今年はちょっと変えてみようか」
そう思った。そしてこれまで、母がどんな花を買っていたか、
どんな色を選んでいたか、
古い記憶をたどって選んでみた。
母の日当日。いつもの通りに、電話が鳴った。
「とっても素敵なお花が届いたわ!
すごくおしゃれ、センスがいいわねぇ
リビングの1番良い場所に飾らせてもらうわね。
ありがとう。」
恒例のお礼の電話には変わりはなかったが、
男の僕でも分かるくらいの、
明らかな声色の違いだ。
花でこんなに喜ぶんだ。そう思った。
なんだか本当の意味で、
感謝の気持ちが伝わった気がした。
花を贈る。たったそれだけのことなのに、
相手のことを「考える」時間をもったことが、
相手を「想う」時間だったように思えた。
花を贈ることをきっかけに、
母と過ごしたこれまでの時間と風景が蘇った。
そしてやっと、本当の意味での感謝ができた。そう思った。
花を以って想いを伝える。
その意味も母の声色で、
わかった気がした。